800日間のVlogが教えてくれた人生のレッスン3条

800日間の挑戦と日常の狭間で

私がケーシーのDaily Vlogを知った時、もう単純にすごいと表現することしかできませんでした。実際にケーシーのように1年間毎日Vlogを更新した時期もありました。そこで今日は、ケーシーが800日間、日々の出来事を動画に収めた挑戦についてアップロードされた動画があったことを思い出したので、紹介したいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=KehujfbRBts&t=88s

彼曰く、800日間のVlogは単なる作業ではなく、自己との対話の連続。
動画の中で語られている大切なことは、以下の3点です。

  1. 毎日新しい動画を作るプレッシャー
    毎日の「今日の動画は何にしよう?」という思考が、日常の行動全体に影響を及ぼしていた。
  2. プライベートとコンテンツの境界の曖昧さ
    家族との大切な時間や、ただの生活の一コマまでもが動画のネタに変わり、本来の自分自身が見えなくなるリスク。
  3. 明確な目的意識とその代償
    日常Vlogならではの「やるべきことがはっきりしている」安心感と同時に、実生活の豊かさを犠牲にしてしまうジレンマ。

これらの気付きは、ケーシー自身の過去の挑戦を振り返ると同時に、今後の生き方やコンテンツ制作へのアプローチに大きな影響を与えたようです。

まずYoutubeに何をアップしたら良いかわからない?
そんな疑問に対するよくある回答は、「悩まずに自分の好きなことをアップすれば良い」と言うもの。
しかし、”なんでもいい”の境界はどこ?とわからなくなって、結局アップできないことはよくあるはず。

私のスキルと努力では、800日には及ばないし、動画の質も及ばなかったのですが、上記3つの点は私も共感できます。

それでは、それぞれの項目を深掘りしていきたいと思います。


日常を撮るということ ― 自己表現と現実のジレンマ

800日間連続で動画を投稿するという挑戦は、一見自己表現の究極形のように映ります。しかし、実際には内面と外面の対立が常に付きまといました。以下の対比が、特に印象的でした。

  • 初期の無批判な全てがコンテンツ化される状態 vs. 後期の私生活の大切な瞬間が犠牲になる現実
    ケーシーは、最初の100日間、いや1年間は、どんな行動も「コンテンツ」として捉え、ためらいなく撮影していた。しかし、徐々に家族との休暇といった大切な瞬間にも「動画にしなければ」という意識が働くようになり、純粋にその瞬間を楽しむことが難しくなった。
  • 日常の些細な行動(例:スタジオの掃除) vs. 人生の重大な出来事(例:家族との時間)
    掃除の一コマを撮影するのは些細な行動として容易、しかし、同じ感覚で大切な時間を撮影しようとすると、心の負担が格段に大きくなる。
  • コンテンツ制作による明確な目的意識 vs. 失われていく「ただの自分」の存在
    毎日動画を作るという目標は、投稿の度に達成感を与えた。
    しかし、その反面、すべてを記録することで「自分自身だけの時間」がどんどん消えていくというジレンマにも気づかされた。

    私もこのような経験があります。どのアングルで撮影するか?次に発せられる会話は大切なのではないか?と思い、撮影するからちょっと待って!とか言っていた覚えがあります。
    日常生活が仕事の時間のようになってしまう。。。これは反省ですね。

新たな視点で未来を創る

2022年当時、ケーシーは41歳。かつての「マニックな日常」から一歩引いて、本当に大切なものを見極める時期に差し掛かったと。
800日間の挑戦を通して学んだことは、

・全てを外部にさらけ出すリスク
・その反面で得られる目的意識の明確さの両面性

今後は、個人的な内省よりも、外の世界に目を向け、周囲の出来事や人との繋がりをより大切にしながら、コンテンツを作り出していきたいとのこと。

この動画では、「すべてを撮り続ける生活Daily Vlog」の限界を学び、ケーシー自身が本当に撮影すべきものの視点を得るきっかけとなった。


私にとっては毎日Youtubeに動画をすることで、動画撮影、編集のスキルは上がったと思います。
元々結婚式の動画撮影を仕事にしていた人や、日常的に動画関連の仕事をしている人に少しでもスキルレベルが追い付いたらいいと思っています。

動画撮影、編集は資格があるわけではなく、技術が問われる業界。
腕に自信があれば、なんでもできるはず!
今日もがんばろー!

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